高木 広人 たかぎ ひろひと
1977年3月10日生まれ 41歳 AB型 うお座
資格
ウォーキングトレーナー
柔道整復師免許 骨格治療整体商標登録
五ノ橋整形塾塾生 丹力習得者
実績 12万人以上を施術 10人以上の開業者を排出
骨格治療整体の技術を確立し、商標登録
整形外科講習120時間以上を受講
経歴
北海道池田高校卒
北海道柔道整復専門学校卒業
柔道整復師免許取得
札幌市沢田整骨院勤務4年
帯広市山井接骨院勤務3年
北区の田端整骨院にて分院長2年
品川区のなごみ整骨院にて分院長2年
2006年「株式会社CURE」設立
東京と江東区清澄白河に
屋号 「金の指銀の指」を開業
現在 分院3店舗
なぜ私が治療家を目指したのか?
私の父は大正3年生まれで、86才で亡くなりました。戦争に行っています。
その戦地で両足を切断するか、しないか、位の大やけどを負ったそうです。
その治療中に柔道、空手の師範代に体の治し方を習ったそうです。
父は元々土建業でしたが、私が物心ついた時には、父は自宅で治療していました。
毎日たくさんの人が訪れていました。
特に背骨の矯正には長けていましたし、本当に悪い人が治っていました。
しかし、免許を持っていなかったので、看板も上げていませんでした。すべて紹介のお客さんです。
私は幼い頃より、よく父に施術中呼ばれました。
そして、「触ってみろ、ここ変だろ」と背骨を触ったのを覚えています。
小学校高学年くらいになると、背骨を触り変なところが解るようになっていました。
今考えれば、洗脳ですね。
「あなた達は早く免許をとって、ここでお客さんたちを治すんだよ」と、母はいつも言っていました。
これも洗脳ですね。
高校を卒業して、全く進路に迷わず接骨の専門学校に進学しました。
そして、仕事をしていくうちに、父の治療が他よりも優れていた面がわかりました。
また、それと同時に足りない面も見えてきました。
足りない面の知識と技術を補い、開発していく日々が始まったのです。
結局のところ、治療家を目指した理由は親の洗脳ですね。
しかし、その洗脳のおかげで自分の使命を見つけられたように今は思います。
なぜ、【尻使いウォーキング】にたどり着いたか?
10万人以上施術してきましたが、良くなっては戻っての繰り返しの人が多く、
結局老いて歩けなくなってしまう悔しい思いをしてきました。
筋トレの指導や姿勢の指導もしてきましたが、ある時限界を感じました。
いつも来ていた患者さんが、「先生、通うのが大変なのでお休みします。」
ん?症状は良くなっているのに通うのが大変?
その時私は、はっと、気づきました。
痛みは取れても、必要なところに必要な筋肉が付くように歩いていなければ、歩けなくなると言うことです。
人づてにその患者さんの様子を伺うと、ほとんど外にも出ず、寝たきり状態だそうです。
毎日1万歩、体操も欠かさず、でもひとたび痛いところができると、歩けなくなります。
なぜそんなに運動してきた人が、痛くなるのか?
悪い姿勢での悪い歩き方による関節の変形に他なりません。
関節を変形させない正しい姿勢と歩き方はないのか?
試行錯誤の上、理論的にも正しいこの【尻使いウォーキング】にたどり着きました。
現にこの【尻使いウォーキング】を習得された患者さんは、
10年前と変わらずどころか、10年前よりも元気に体にも痛みなく生活しています。
全員が遅かれ早かれ歩けなく可能性は高いです。
歩けなくなって困るのは誰ですか?
もちろん当人は困るでしょうが、もっと困るのは子供たちです。
介護施設に入るのも良いでしょう。
しかし、それをあなたは望んでいますか?
子供たちは望んでいますか?
介護施設に入れば、最低でも月20万円はかかります。
施設で10年生きたらいくらになりますか?2,400万円にもなるのです。
お金に困っていないのは解りますが、そのお金を子供たちに残せたらと思いませんか?
お金のない人はどうすればいいのですか?
自宅で孤独死を待つ余生を送りたいのですか?
私は常々患者さんに言う事があります。
【あなたがすぐに死にたいと考えても、寿命が来ない限り死にません。】
筋肉や関節がダメで動けなくなっても、内臓が元気なら生きてしまうのです。
もしかしたら、10年いや、20年寝たきりでも生きるかも知れないのです。
もし、治療によって10年後も20年後も元気で自分の足で歩く術を身につけたならば、
これほど幸せな老後はないと思っています。
この【尻使いウォーキング】習得できれば、幸せで誰にも頼らない未来が実現します。